鈴木智尋さんの工房には、何度も焼成を重ねた試作と、その結果を書き留めた分厚いノートがある。 安南手の滲みをわずかな違いまで確かめる一方で、原土に含まれる小さな石は、あえて器の表情として残す。すべてを思い通りにするのではなく、どこまで手を入れ、どこから素材に委ねるのか。 「この二つの間くらい」 まだ目の前にない答えを探しながら、鈴木さんは今日も土と向き合っている。
鈴木智尋さんの工房で、安南手の試作を見せてもらった。
白い釉の上に引かれた青い線が、少しずつ違う滲み方をしている。
こちらは、あまり滲んでいない。
こちらは、少し滲んでいる。
もう一つは、それよりも滲みが強い。
安南手は、この滲みが難しいのだと鈴木さんは言う。
線がきれいに残りすぎても違う。
滲みすぎても違う。
「この二つの間くらい」
そう言って、二つの試作を指した。
私には、どちらも十分きれいに見えた。
けれど、鈴木さんがつくりたいものは、まだそこにはなかった。
工房には、分厚いノートがあった。
これまで試した土や釉薬、焼成のことを記録しているという。
一度試して、結果を見る。
違えば、条件を変える。
そして、また焼く。
その繰り返しで、ノートは厚くなっていった。
「大学院にいたころを思い出します。実験みたいですね」
思わず、そう言った。
鈴木さんは、まだ試していないことがたくさんあるという。
長く焼き物をしていれば、だんだん分かることが増えていくのだと思っていた。
けれど、分かることが増えれば、次に分からないことも見えてくるのかもしれない。
目の前に並んだ試作は、その途中にあるものだった。
別の器には、小さな石が残っていた。
原土に含まれていた石だという。
土の表面から少し顔を出している。
こういうものは取り除くのだと思っていた。
けれど鈴木さんは、作品によっては、あえて残しているという。
さっきまで、青い線のほんのわずかな滲みを見比べていた人が、ここでは土の中の石を残している。
そのことが、少し面白かった。
どこまで整えるのか。
どこまで残すのか。
おそらく、それも一つずつ違うのだろう。
棚には一万二千円の抹茶碗があった。
鈴木さんのほかの器に比べると、少し高い。
「どうしてこれは高いんですか、と言われることがある」
鈴木さんはそう言った。
この茶碗は、ろくろで挽いたものではない。
手で形をつくり、一日置く。
それから中をくり抜く。
さらに化粧を施していく。
話を聞いているだけでも、手間がかかる。
買う人からすれば、一万二千円は安くない。
けれど、つくる人からすれば、それでも手間に見合うとは限らない。
「もし、これを注文したい場合は?」
と聞いてみた。
「作らんかもしれない」
鈴木さんは言った。
できたときに買ってもらうしかないかな、と続けた。
器を売る人間としては、少し困る答えだった。
でも、なぜか嫌いではなかった。
工房を出てからも、
「この二つの間くらい」
という言葉が残っていた。
二つの試作の間にある、まだできていない一つ。
それを探すために、また試す。
けれど、原土の石は残しておく。
手間のかかる茶碗は、無理をしてつくり続けない。
鈴木さんの仕事を見ていると、何でも思い通りにすることが、ものをつくることではないように思えてくる。
手をかけるところがある。
そのままにしておくところもある。
まだ分からないこともある。
分からないから、試してみる。
鈴木さんの分厚いノートには、答えよりも、その途中の時間がたくさん残っているように見えた。



