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DIALOGUE 003

陶芸家・村木雄児: 知ってしまったことは、もう 忘れられない

陶芸家・村木雄児さんとの対話後編。三島、土地、情報、失敗、そして四十五年つくり続ける中で変わったことと変わらないことを聞く。

三島の話から、いつの間にか、ものをつくることそのものへと話題が移っていった。

村木さんの話は、いつもゆっくりと枝分かれしていく。

一つの器から昔の焼き物へ。

昔の焼き物から、今の若い作り手へ。

そして最後には、自分が若かったころの話へ戻ってくる。

どこかへ話が逸れているようでいて、振り返ると、すべてが同じ場所につながっていた。

村木さんは、都会で生まれ育った。

田舎の暮らしに憧れて、初めから伊豆へやって来たわけではない。

焼き物を続けようとすれば、窯を築き、土を置き、火を使える場所が必要になる。

都会では難しかった。

二十八歳ごろ、この土地へ移り住んだ。

一人で窯をつくり、器をつくり始めたのは、二十九歳ごろだったという。

けれど、つくったものはすぐには売れなかった。

「こそこそと暮らしていた」

村木さんは、当時のことをそんな言葉で振り返った。

陶芸でどうにか食べられるようになるまで、三年ほどかかったという。

大きな決意や苦労を語るというより、昔の出来事を思い出すような口調だった。

何かを始めれば、すぐに道が開けるわけではない。つくる場所ができても、それだけで仕事になるわけではない。

土を練り、器をつくり、焼く。

売れなければ、またつくる。

その繰り返しの中で、少しずつ暮らしが形になっていった。

この土地へ来たばかりのころ、村木さんと周囲の人との付き合いは、それほど多くなかったという。

工房で仕事をし、自分の生活を続ける。

その後、結婚し、子どもが生まれた。子どもを通じて近所との付き合いが増え、少しずつ土地との関係も広がっていった。

今では、工房も、自宅も、窯も、周囲の山も、一つの暮らしの中にある。

けれど、その風景は最初から完成していたわけではない。

長く住み、仕事をし、家族を持ち、人と出会う。そうした時間を重ねた結果、今の暮らしがつくられてきた。

器が使われながら育っていくように、人と場所の関係も、暮らしの中で少しずつ育っていくのかもしれない。

話は、焼き物がどのように土地を渡り、変化してきたのかというところへ広がった。

焼き物の源流をたどれば、中国のものがあり、それが朝鮮半島を経て日本へ伝わってきた。

けれど、伝わった先で、同じものがそのまま再現されたわけではない。

日本の人は日本にある土や道具を使い、朝鮮半島の人はその土地にある素材と感性で、見たものをつくり直してきた。

その過程で、それぞれの土地の個性が生まれたのではないか。

村木さんは、そんなふうに話した。

昔の作り手が得られる情報は、今ほど多くなかった。

遠くの器を、小さな窓からのぞくように知る。

すべてが見えるわけではない。

それでも憧れ、自分の身近にある土、道具、素材を使い、想像しながら形にしていく。

分からない部分があったからこそ、自分たちの感性が入り込む余地があった。完全に知ることができなかったからこそ、別の焼き物が生まれた。

今は、スマートフォンを開けば、すぐに答えが見つかる。

誰が何をつくっているのか。

どの土を使い、どのような技法で焼いているのか。

世界中の作品を、手のひらの中で見ることができる。

村木さんは、今の若い人は頭もよく、さまざまなことをよく知っている、と話した。

ただ、情報をたくさん持っていることと、ものをつくれることは、少し違う。

「情報だけでつくるんじゃないよな」

必要な情報がある程度あれば、その先は自分の想像力や、こういうものをつくりたいという思いに任せたほうが面白いのではないか。

村木さんの言葉を聞きながら、知ることと、つくることの間には、埋められない距離があるのだと思った。

答えを知ったからといって、手がその通りに動くわけではない。

知識があっても、土の状態や火の変化を、その場で判断しなければならない。

最後に必要になるのは、誰かの答えではなく、自分の手で確かめた経験なのだろう。

「何回も失敗して、失敗して覚えることがたくさんあるから」

村木さんは、そう言った。

成功したときには、なぜ成功したのかが分からない。

うまくいってしまえば、その理由を深く考えないこともある。

けれど、失敗したときには立ち止まる。

土が悪かったのか。

形に無理があったのか。

乾燥が足りなかったのか。

火の入れ方が違ったのか。

一つずつ考え直す。

「成功しているとね、成功している理由が分からないのよ。失敗したときに、成功した理由が分かる」

失敗を重ねながら長くつくり続けていると、少しずつ「勘」が自分の中に養われていく。

その勘が、次に土へ触れるときの手を動かす。

すべてを言葉で説明できなくても、身体が覚えている。

村木さんの器を支えているのは、四十五年分の成功だけではない。

その間に繰り返された、数え切れないほどの失敗でもある。

ものづくりに、初めから正解が分かっている必要はない。

むしろ正解を知っているものだけをつくっても、面白くない。

世の中の変化は速くなり、今では何かを尋ねれば、ほとんど正確な答えが返ってくる。

けれど、村木さんは言う。

「正しいことだけが、正しいわけじゃない」

器をつくることは、正答を求めることではない。

自分で試し、失敗し、その中から次の形を見つけていく。

効率だけを考えれば、遠回りに見える。

それでも、その遠回りの中でしか育たないものがある。

知識として受け取った答えではなく、自分で失敗した結果として残る感覚。

それが、作り手の個性になっていく。

村木さんは、陶芸を始めてから四十五年になる。

最初のころと比べて、自分は大きく変わったのか。

そう尋ねると、基本的なところはあまり変わっていない、と答えた。

けれど、技術は変わった。

経験も増えた。

長く続けるうちに、知らなくてもよかったことまで覚えてしまったのかもしれない、と笑う。

若いころは何も知らなかった。

怖いものもなかった。

自分がつくりたいと思ったものを、そのままつくった。

重すぎる器も。

使いにくい器も。

それほど気にせず、勢いのまま形にしていた。

それでも、その器がいいと言ってくれる人がいた。

その人たちに支えられながら、ここまで続けてきた。

昔の作品を見返すことがある。

もう一度、同じものをつくってみようと思っても、今はつくれない。

当時は、それが自分にとって自然だった。

疑うことなく、勢いのまま手を動かしていた。

けれど、今の自分が昔の作品を真似れば、それは自分の作品を模倣しているだけになる。

若いころの無知や勢いまで、再現することはできない。

「一度知ってしまったことは、忘れるわけにもいかないから」

知識を得ることで、できるようになることがある。

同時に、知らなかったからこそできたことも、失われていく。

村木さんは、昔に戻りたいと思うこともあるという。

けれど、もう戻ることはできない。

その言葉に後悔が強くにじんでいるわけではなかった。

ただ、若いころの自分と今の自分は、もう別の人間なのだと静かに受け止めているようだった。

昔の作品を見て、「下手だな」と思うこともある。

それでも、「下手だけど、いいよな」と感じるものもあるという。

技術的に上手であることだけが、手仕事の世界で最も大切なことではない。

人を振り向かせる何かがあるか。

見る人の心を引きつける魅力があるか。

「こういうものをつくりたい」という思いが、そのまま形に表れているか。

村木さんにとって、作品の価値は、技術の正確さだけでは測れない。

少し不器用でも、つくり手が一生懸命に向き合ったものには、その人がいた時間が残る。

昔の作品には、昔の村木さんがいる。

今の作品には、今の村木さんがいる。

意識していない部分まで、土の形に表れてしまう。

作品とは、そのときの自分が、知らないうちに残した記録でもあるのだろう。

四十五年つくり続けても、村木さんは正解にたどり着いたとは話さなかった。

むしろ、正解が分からないからこそ、今もつくり続けているように見えた。

三島の中にも、まだ試していないことがある。

同じ模様でも、やり方を変えれば違う表情になる。

昨日まで分かっていたことが、今日の土には当てはまらないこともある。

そうしてまた試し、失敗する。

少し分かる。

そして、次の器をつくる。

長く続けるということは、同じ答えを守り続けることではない。

分からないものを、分からないまま手放さずにいることなのかもしれない。

工房の外には、焼き損じた器がいくつも残されていた。

最初に見たとき、私にはどこが失敗なのか分からなかった。

十分に美しいと思うものもあった。

けれど、村木さんにとっては、その一つひとつに、何かが足りなかったのだろう。

形、火、色

あるいは、自分がつくりたかったものとの、わずかな違い。

失敗した器は、世に出る作品にはならなかった。それでも、失敗そのものが消えたわけではない。

次に土へ触れる手の中に残り、次の窯を焚く判断の中に残る。

工房の外に重ねられた器を見ながら、失敗もまた、形を変えて作品の中へ戻っていくのだと思った。

正しい答えだけでは、ものは生まれない。

知らなかった自分には戻れない。

それでも、今の自分にしかつくれないものがある。

村木さんは今日も、その続きをつくっている。